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記憶の扉関連サイト 記憶の扉(94伊) 記憶の扉 淀川長治の新シネマトーク ジェラール・ドパルデュー 監督:ジョゼッペ・トルナトーレ
出演:ジェラール・ドパルデュー
ロマン・ポランスキー
NHK BSで放映された事があるようです。再度放映される可能性は十分にあります。 TV情報誌でチェックしましょう。 現在、S-VHSのテープは200円です\(^◇^;)/。 ネタばらししますんで、これから見ようと思っている人は読まないほうが賢明です! |
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ストーリーの意味の解釈をしてくれるよう頼まれて、「記憶の扉」なる作品を借りた。僕は”観るべき”アニメは殆ど観たと自負しているが、実写の映画については結構疎い。とはいえ、ハリウッドのドッカーン・ボカーンの世界はストーリーが単純明快過ぎてつまらない。むしろ、人を深く描き、意味深い作品が好きだったりする。そんな作品選択傾向がある小生でもこの映画の世界に入っていくのは辛かった。 冒頭はオノフ演じるジェラール・ドパルデューのナレーションから入る「まるでハリウッドの映画にさ迷いこんだみたいだ。」というニュアンスの台詞でハリウッド映画にジャブをかます。欧州映画人のハリウッド映画への皮肉でもあり、ライバル意識を持っている事の心情吐露でもあるのだろう。しかし、最初の10数分は「いつ観るのを止めてしまおうかなぁ」とかずっと思い続けていた位だ。何しろ銃声の後、太った大男が大雨の暗闇の中さ迷い走り、揚句に警察に連行されるという、暗くなるには最高のシチュエーションで始まるのだ。 更に警察署は廃屋を改造したんじゃないかと思うくらいのボロさで、あちこち盛大に雨もりしている按配だ。そういう”舞台”と愛想の無い警察署員を配し、ガタガタ震える大男。しかも、署長が来ないと帰さないと事務的に返答を繰り返す警察署員。署長が来る前に僕が観客の立場を去りたいよ、とか思い至る。 ![]() 意識が覚めて署長の尋問が開始される。雷鳴轟く豪雨の気象の中、あちこちで雨もりする警察署での尋問である。見ているこっちも気分がおかしくなりそうだ。署長は殺人犯の自白を引き出す為に、オノフは身の潔白を晴らし警察署から逃げ出したい一心の為に、相対している。そもそも、オノフは自分が大・小説家オノフである事を署長に証明しきれない。後に署長は最初のオノフの小説の引用合戦で「この男は間違いなくオノフである」と確信している事が判明する。しかし、オノフの取る行動に観客は不信感を抱かせる。署長はオノフを疑っている事を表面には出さず、冷徹に取り調べを行う。その事は職務上であるように見えて、実は大作家への興味心からでもあるのだ。一方のオノフは身の潔白を晴らすのは無理と思いこみ逃走を試みる。そのような疑わしいしき行動を重ねるオノフは自らを追い込んでゆく。
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元来、小説家とは嘘つきが商売の源泉である。原一男監督の井上光晴のドキュメンタリー映画「全身小説家」という作品がある。原監督は井上を撮り、周辺の人物を撮る事によって”嘘つき屋”井上光晴の実像に迫る作品であった。 この記憶の扉にも嘘つき屋としての小説家の虚像と実像のギャップが取り沙汰される。オノフは殺人の被疑者であった、犯行のあった時刻の記憶が取り戻せない。その点でウソをついているわけでは無い。 ![]() 彼は私生活で行き詰まりを感じ、過去の記憶を焼き付けた写真を紛失してしまったことへの人生への喪失感をも感じていた。 ![]() |
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前日の記憶のフラッシュバックは短いカットを連続させた明るい映像である。じめじめしている停電中の薄暗がりの警察署とは、まさに別の世界の出来事でもあったかのような印象を見ている側に与える。そのような鋭い映像表現や役者達の巧みな演技が生き生きしてみえるのは、この作品が人間誰しも抱えている人生の普遍の課題を内包しているからだ。愛に悩み、創造作業や仕事に悩み、欺瞞に満ちた自らの人生に悩み、突発的な事故とも言える苦境に陥る事態に誰しも悩むのである。行く数多の悩みを抱えた患者を署長はどんなカウンセラーも執り行えない鮮やかな手腕で、患者たるオノフの精神を解放へと導くのである。そして、見ている者までもが、悩みや苦境から解放される方法を与えたれたような錯覚を覚えるのだ。 |
