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オタク思想史における攻殻機動隊の位置付け
(敬称略)
破滅的戦争体験からの出発 戦時中のアニメーションは、海軍と密接な関係を持っていた。高いクオリティと、どぎついプロパガンダでその名を知られた「桃太郎海の神兵」や「桃太郎の海鷲」が有名である。何しろ、米兵が逃げだすときにトランプをばらまくカットを描くのに、日長一日トランプを撒いては写実して、半年かけたというのだから、その力の入れようは半端ではない。戦後、GHQの指導があったのかどうか分からないが、海の神兵の中核メンバー4人の内、一人は東映動画で後進の育成にあたったが、それ以外の3人は野に下った。その東映動画にはアニメ界の赤色巨星元全共闘副委員長高畑勲と、その高畑勲にオルグされてアニメ界へ入ってきた宮崎駿が在籍することになる。手塚治虫は焼夷弾直撃寸前という体験から、終戦を迎えた時には「生き残れた喜びと新しい時代への期待と希望」を感じた。そして、天皇教からの解脱を果たすべく、新たなる共同主観を構成する思想の提示の必要性を認識していた。一方の宮崎駿は「不良品混じりの戦闘機を納入していた軍需工場経営者の息子」「宇都宮空襲の際に、助けを求める乳飲み子を抱えた近所のおばさんを振り切って親族だけで三輪自動車で逃げ出した」負い目を創作パワーの源泉とした。手塚は赤旗に度々寄稿していたし、宮崎はマンガのデビュー作「砂漠の民」を赤旗に掲載している。戦後アニメ界の創世期を形作った巨匠達は破滅的戦争からの反省を含めて、共産主義的イデオローグに依拠してアニメ作品を作っていくことになる。 マンガメディアによる統治批判の発生 一方のマンガ界において、白士三平の「忍者武芸帖」「カムイ伝」が統治を懐疑の念を持って語り、それまでの単純な戦記物が溢れかえっている状況の流れを変える。あの水木しげるも貸本屋時代は戦時体制に無批判な戦記物を描いていた。やがて、白士三平に触発され、現代革命マンガ「悪魔くん千年王国」を送り出す。一方で戦記物では「総員玉砕せよ!」「クーニャン」「昭和史」など、戦争の残虐さを盛り込んだ作品を描いていくことになる。当時、「忍者武芸帖」や「カムイ伝」において後背を成す階級闘争史観が、当時の左派勢力運動の隆盛と会い見えて、現実社会への強烈な影響力をもっていた。一方、手塚は「騎馬民族史観」により「火の鳥 黎明編」を描き、宮崎は日本を多民族国家と提起した網野善彦史観をベースに「もののけ姫」を作った。今になって風の谷のナウシカも一気に読みとすと、ファンタジー世界においてカムイ伝が展開されているかの如き錯覚を覚える。宮崎もナウシカ完結後に出版されたComic Boxのロングインタビューにおいて、白士三平への対抗心をむき出しの述懐をしている。 押井守の統治観を推測する攻殻機動隊劇場版を担当した押井守は、1985年に「とどのつまり」という作品の原作を手がけている。「とどのつまり」はアニメーター達が未登録児童アリスを巡って当局取締組織トランプと対立するという内容である。表面的な解釈を下せば、アニメーター達が持つロリータ願望と、そのオタク的世界観表現においては時の政府と対峙することも辞さないという、創作者なら心の片隅に所持しているであろう反体制的ポリティカルスタンスのマンガ化にあったのではないかと思われる。また、押井自身学生運動の経験があり、その経験からの不条理さを吐露した作品なのではないかとも推察される。「とどのつまり」はルパン三世の企画が流れた直後の作品である。当時、宮崎・高畑は自分達が培ったルパン三世の世界観が他者の演出によって、あらぬ姿へ変貌して行くことを阻止するために、ルパン三世を完全に終わらせる作品製作を押井に託した。しかし、日本テレビ側はルパン三世を毎年恒例の特番作品として永続させるために、その企画をお蔵入りさせた。宮崎は演出家の力量を見込んで押井に白羽の矢を立てたのだとは思う。しかし、両者の間で大論争が交わされたようで、押井は後年「ジブリはクレムリン、宮崎さんはスターリンで、高畑さんはトロツキーかな」と評している。一聴視者の私にしてみれば、押井の思想的立位置はまさにとどのつまり「とどのつまり」に帰結して、無政府状態ゲリラ活動を描いた「西部戦線異常なし」や実験的作品の「天使のたまご」は存在しえても、官憲側に主人公らを配置した作品を担当するとは、到底想像しえなかった。 アップルシードがもたらした統治描写の相転移 奇しくも、1985年にはアップルシードが大阪の青心社から書き下ろしで出版された。石川じゅんは「アップルシードは銭形平次だよね。あぁ、こういうのもありかと思った」と評し、統治側からの作品構成が成立する事に気づかされたことを、ドライに評した。アップルシードはオリュンポスにおける総合管理局による地球統一統治を実現している。理想政体総合管理局における立法院と行政院の対立によってクローズアップされる、人間とバイオロイドの関り方に、主人公デュナンとブリアレオスがSWATとして関与していくという内容である。押井が監督をしたパトレイバーの原作はアップルシードから触発されて産まれたとされている。押井はパトレイバー劇場版1・2と続き、攻殻機動隊劇場版を担当することとなる。パトレイバー劇場版にしろ、攻殻機動隊劇場版にしろ、舞台設定の差異はあるものの、警務ベースにおいて、主人公らが体制内および外来の危機に対処するというストーリーテリングにおけるスタンスの類似度合は極めて高い。アップルシードが開拓した近未来官憲捕り物帖というジャンルに、押井は寄りかかって作品製作を進める事となった。人狼で、攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX(以下STAND ALONE COMPLEX=CS版を攻殻/劇場版を攻殻劇場版と記述)で監督を担当した神山健治を演出というポジションで起用している。人狼は60年代安保闘争の御時世を用いてはいるが、語るべきコンテンツは体制内内ゲバであり、攻殻機動隊劇場版とは時代設定において過去か近未来かという点においては対置するが、統治内組織対立の図式としては同様である。人狼は悲運なストーリーに載せて、統治の本源的疾患を描くことによる統治批判と捉えるならば、近年では数少ない統治批判アニメということになる。攻殻劇場版・CS版共に人狼と同種のストーリーではあるが、9課の背負っている「正義の意志を貫徹すべし」というドグマの提示を主幹としている。 下にオタク歴代作品社会体制批判(憶測)度数の図表を記した。強引な数値設定と統計的解釈を下せば、時代が進むにつれて統治に対するアレルギーが漸減しているといえる。図表に掲載した作品は以外には、官憲物のオタク作品として「逮捕しちゃうぞ」「こちら亀有公園前派出所」など完全に統治無批判作品が製作されている。「天才バカボン」が描く警察とは正反対な姿であることが、「時代の趨勢」を感じさせる。 メディアが与える現実と虚像の錯誤 攻殻の統治描写に込めた意思の捉え方は、観る人の解釈によって変化する。攻殻は現代日本統治を模倣しているが故に、現代日本統治が善政であるかの如き錯覚を与えてしまう危惧がある。現代日本社会の延長線上に位置した世界観を背景とする攻殻は、リアリティある描写を持って、受け手が抱く「アニメは所詮絵空事」との判断をねじ伏せてしまう。首相や法務局・検察が最終的に統治内の悪しき勢力排除の判断を下す等ということが、現代日本に有るわけがない。であるから、攻殻を透過して現代日本社会を観察するのは避けるべきである。攻殻を通じて語られているのは、正義を貫くという共通の課題を背負って不正義に挑む「公安9課と笑い男」のコラボレートであり、現代社会においてのあり得べき統治権力と市民のあり方を提示している。 現在の日本社会は「政治・官僚・財界・ヤクザ・マスコミ」のもたれあいの構造で構築されており、「村の掟」を破る者は容赦なく排撃される。かくて、特殊法人問題や国家財政破綻問題に最も深く切込んだ石井紘基は刺殺された。「NPO法」「情報公開法」制定に尽力され、立憲政党政治史上において最大級の民権拡充という成果を残した辻元清美は秘書給与問題で起訴された。一方、亀井静香は公判で収賄の事実を林義三が陳述したにも関らず、自民党総裁選に立候補している始末である。かくて法治は無力化され、ヤクザ暴力を媒介とした経済構造を成し、ゾンビ企業とその延命装置と化した銀行を巡って税金が湯水のごとく浪費されている。また、預金者が得べかりし利息は数十兆円に達するだろう。そして、国家財政は遅くとも2005年には破綻する所まで来ている。今がすべてではなく、我々の過去や未来の姿をも含めて物事を考察しなくてはならない。 メディアが繰り出す虚像に視聴者が苛まれるのは、むしろアニメにおいては特例である。最も問題視されるべきなのは「トレンディドラマ」であろう。何しろ演じている人々が実在して、セレブリティな生活を営んでいるので、視聴者はドラマの中身と現実の境目を見いだす事が出来ずに、自らの価値観を引きずられる。そもそも、松嶋奈々子や木村拓哉みたいなのが、数多存在していては、彼らのタレントとしての商品価値が失われてしまう。現実には彼らほどの経済力や異性としての魅力を兼ね備えた人間と親しくなるのは、宇宙戦艦ヤマトを針の穴に通すよりも難しい。それでも、日本三大麻薬の「タバコ・酒・テレビ」の一つであるテレビメディアに洗脳された人々は、虚像を現実の落差に苛まれ、晩婚化・少子化への道をひた走る。これを私は「トレンディドラマ症候群」と呼称する。 私は攻殻という作品の善し悪しを問うているのでは無く、現代日本社会の現実から照らし合わせると、統治中枢と意志疎通しながら統治の不正義を追求していく公安9課の荒巻大輔は、「水戸黄門」や「遠山の金さん」並に虚像なのだと主張しているのである。かつて、現代日本において統治内部の人間が不正義を追求したことがなかったわけでない。5・6年位前に東京地検特捜部で辣腕を振るった部長(名前が思い出せない)は北陸の方へ左遷された。昨今では小泉首相にイラク戦争反対の意見書を具申した元レバノン大使天木直人は解雇された。現実はかくも過酷なのである。とは言うものの、我々に多少の救いや希望が残されていないわけでもない。攻殻のストーリーで重要な役割を果たす「村井ワクチン」だが、この原典は丸山ワクチンの許認可問題にある。丸山ワクチン問題を国会で取り上げて厚生省と折衝をした菅直人は、後に厚生大臣として、薬害エイズ問題で成果を発揮する事となる。そして、未だ健在で総理大臣を伺う地位にある。 制作者の意図に反する事なのであろうが、メディアは送り出した情報を受け手がいかように咀嚼して解釈するかまでは制御できない。1話の「公安9課」で、草薙素子は『国家に不満があるなら、目を閉じ耳を塞ぎ孤独に暮らせ!』とのたまう。実はこの私こそが自分の好きな様に曲解していて、実際の所、神山健治は統治権力の絶対的正義を信じているのかもしれない。 近代思想史はジョン・ロックの抵抗権・革命権に類を待たず、サン・シモンやロバート・オーエン、マルクスと続く、資本や統治の横暴からの民権確保の為の思想編纂史でもある。そして、アメリカのグローバリズムに表象される高度資本主義こそ、批判勢力の存在なければ、資本の寡占と横暴により、自ら崩壊してしまうのである。我々日本社会における腐敗は、統治の疾患と市民退廃の相乗効果によって発生している。至極当然にして、我々は社会的リスクを負える範囲で、パルチザン化する必要がある。社会運動にコミットするのも良し、電子情報というマスカレードをしてメッセージを発するのも良し。社会への関与は金銭関係だけで無い部分で最低限の責務を負わねば、この日本社会はいずれカタストロフを迎え、一気に噴き出る負の所産により、我々の生活が根底から破壊されてしまう時が来るのである。
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ジェンダーのゴースト論 |
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参考文献 コンピューターの終焉 ハイパーメディアギャラクシーU 浜野保樹 福武書店 ジェンダーの社会学 江原由美子・山田昌弘 メディア論 吉見俊哉・水越伸 ヤクザ・リセッション さらに失われる10年 ベンジャミン・フルフォード 光文社 The Yakuza Recession:Another Lost Decade Benjamin Fulford NHK BSマンガ夜話 攻殻機動隊 |
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